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人は言葉でものを考える
私は常々、社員にも読書の大切さを説き、毎月、読書感想文の宿題を出す変な社長ですが、はからずも麻生首相のおかげでそのことについて書きたくなりました。
麻生太郎という男はマンガ好きと聞いていたので危惧はしていましたが、予想以上に国語能力に問題があり、この情けなさはなんとも言えない。この程度の男が日本のトップかと思うと、私ははっきりと断言できます。日本にエリート教育は無いと・・・。あれでも学習院の政経を出ている。イギリスでオックスフォードやアメリカでハーバードを出た人間で、あのレベルはちょっと想像できない。
簡単な漢字が読めないことが、連日報道され、マスコミの論調では単に「漢字を知らない」という学力の低さをネタにしているが、事態はそんなに簡単なことではありません。なぜならば、人は言葉でものを考えるから、ボキャブラリーの少なさはそのまま思考能力の低さを物語っているからです。中学生でも知っててあたりまえの言葉がわからない男が内閣総理大臣にすわっている。自民党に人は無しか。
人は言葉でものを考えると言いましたが、例えば「平等」と「公平」という言葉は実は全く正反対の概念ですが、同じ意味で使っている人もたくさんいます。当然、それぞれの言葉を区別して使用している人と、同じ意味で使用し使い分けのできない人とは、その思考レベルは全く違うところにある。大人と子どもほどの差があります。
「目的」と「目標」も、その違いがわからない人は、仕事で成果をだすことは難しいと思います。実際に違うものだからです。そこが曖昧になって、間違った方向に走る会社がいかに多いことか。
違う例をだすと、一人称で「僕」しか使えない人と、「私」「自分」「俺」など相手との関係において使い分けることのできる人とは、これまた、政治感覚や思考能力に大きな開きがあると言わざるを得ない。
つまり、ボキャブラリーが少ない人ほど思考が粗くなり、ボキャブラリーの多い人ほど思考が繊細になる。それは、言い換えると能力です。たくさんの言葉やその使い方を覚えるのには読書は一番です。だから昔から、「たくさん本を読むと考え方がしっかりしてくる」と言われます。それは、マンガや雑誌やビジネス書では無理な相談です。簡単な言葉しか使っていないからです。純文学や歴史小説が気軽に読めるようでないと、一人前の語彙がないと言っても過言ではありません。
マンガを読んで「勉強になる」と言っているような総理大臣では、どうも一国のリーダーとしては頼りない。総理大臣なら、年間500冊ぐらいは本を読んでいただきたい。トップビジネスマンで年間300~400冊ぐらいは本を読むと聞きます。パフォーマンスで4冊ぐらい買っている場合ではない。
簡単な漢字の読み方がわからないというのは、単に笑い話ではありません。くどいですが、それは言葉を知らないということで、そのまま思考能力が低いことを意味します。それが許される職業もたくさんあると思いますが、内閣総理大臣には決して許されません。現在の大学生は読書よりも携帯やTVゲームのほうが楽しいらしいが、そんな薄っぺらい時代を象徴している話のような気がしてなりません。
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こんにちは、吉信秀樹です。
誤解のないように申し上げますと、私はマンガを否定しているわけではありません。私もよく読みました。ただ、本は食事であり、マンガやTVはおやつです。おやつだけ食べて子どもの体がしっかりすることはありません。それは頭や心も同じだと言いたいのです。
では、またお会いしましょう!