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それも才能か!
私は「努力する」ということに、とても大きな価値観を持っています。全ての成功の基礎であるとともに、日々のたゆまぬ努力が人格をさえも造っていくと信じています。運動しない人が体がなまっていくように、努力しない人は心がなまっていきます。ついでに言うと、勉強しない人は頭もなまる。
しかるに昨今、「努力する才能がある」などという表現がはびこりつつあり、「バカを言うな!」とどやしつけてやりたい気持ちです。
しばらく前から、プロ野球の解説者でもそんなことを言う人が出てきましたが、オリンピックを見ていても、CMで「努力する才能」なる言葉が登場する。
確かに「生まれ持った」というしかない才能が存在することは認めます。私も三児の父であるから、生まれながらに人に違いがあることはわかります。ええ、親になってはじめてわかりました。
しかし、昔から成功者は例外なく才能よりも努力に重きをおいている。エジソンの「99%の汗と1%のひらめき」は誰でも知っていると思いますが、似たような言葉は山のようにある。
「才能で劣ることがあっても、努力の量と質で勝つことができる」、私にとって心地よいそのような先人の教えを叩き壊そうとしている輩がいる。自覚がないだけによけい始末におえない。
努力することまでもが才能か!?どこまで甘えれば気がすむのか。成功している人を見て、あの人は努力する才能があったから成功したというのか。わけのわからん世の中になってきた。
スポーツ選手が努力して一流になる。それは才能なんかではない。志であり思いであり、他の楽しみを捨ててきた人生の履歴書だ。ビジネスマンも同じ。結果のでている人は努力している。人が遊んでいるときに勉強している。能力なんてものは、努力すればかってに高まってくる。それを才能とは言ってあげて欲しくない。
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こんにちは、吉信秀樹です。
一昨日、学生時代のアルバイト仲間で同窓会をやりました。私、幹事をつとめさせていただいたのですが、翌日には「ご苦労様」「ありがとう」「また、企画してね」とメールがあいつぎ、とても嬉しくなりました。ささいなことでも人に喜ばれるということが、いかに自分の心に栄養を与えるか、改めて感じました。こちらこそ、「幹事をさせてくれてありがとう」と言いたい気持ちです。また一つ心に花が咲きました。あ~、楽しかった。
では、またお会いしましょう!