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2022.08.15
終戦記念日に想う
今日は終戦記念日ですが、昔からこの表現に批判があります。「敗戦と言うべきだ」「終戦などと言うのはごまかしだ」と言った論調です。おそらくはこの方たちは、あちらの人で日本を貶めたいのであろうと思われます。私には語感的に敗戦よりも終戦のほうがふさわしいと感じます。
それは、やはり当時のおおかたの国民の実感が「終わった」「終わってよかった」というところだったであろうと思われるからです。勝った、負けたということも当然あったはずですが、それ以上に、長く続いた戦争が終わった、もう戦わなくてよいといった安堵感のほうが強かったのではないでしょうか。その意味では完全に終戦の方がふさわしい。
また、終戦と言うと「もう戦争はしない」「こりごりした」というニュアンスも伝わりますが、これを敗戦とすると、そこには「臥薪嘗胆」とか「次はやり返したるで」といったニュアンスも出てきます。現代社会の在り方を考えても、やはり終戦のほうがふさわしいと感じます。
日についてもなぜ8月15日なのかという不毛な議論があります。ポツダム宣言を受け入れた8月14日、またはミズーリ号で調印した9月2日にすべきだというのです。特に世界では9月2日だそうです。それがどうした!
日本では、8月15日正午に天皇陛下のいわゆる玉音放送があり国民は敗戦と終戦を知りました。国民感情としては、当然、8月15日が終戦記念日になります。他の日はありえません。
あとは内閣総理大臣には、ぜひとも8月15日に靖国神社に参拝していただきたいです。アメリカ大統領がアーリントン墓地をないがしろにすることはありません。いわゆるA級戦犯は日本にはおりません。左寄りの報道ばかりのマスコミには、実に情けない想いがいたします。
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こんにちは、吉信秀樹です。
最近、私のまわりでもコロナが増えてきて、風雲急を告げてきました。私自身はいまのところなんともありませんが、しばらく色々大変そうです。
では、またお会いしましょう!