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2021.02.25
許しがたいことを許すというのは自分のため
最近、許すということを考えています。生きていると色んなことがあります。こちらは本当に善意で接しているのに悪く解釈をされて誹謗中傷をされるとか、身内の中でも納得いきかねることもあるし、かたい約束だと思っていたことでも簡単にくつがえされることもある。
全て不徳のいたすところと言うしかないのですが、やはり腹のすえかねることはどうしてもある。
でも、それで怒ったり気分を害しても結局、損をするのは自分。母が子どもの頃からよく「短気は損気やで」と諭してくれたことを思いだす。怒ってもなんのプラスにもならない。まして、仕返しなんかしても連鎖するだけ。こちらがやられているところでやめておけば、そこで全て終わる。
昔、インディアンの映画でそういうシーンがあった。いきり立つ若者たちに対し酋長が諭す「やり返すとやり返されて際限なく続く。一時は気が晴れても次の不幸がやってくる」。小学生の頃だったと思うがよく覚えている。
残念ながら、時として「なんで?」って言いたくなることがあります。でも、自分がわかってないだけで、自分がそんな風にさせてしまったのだと思います。そういうものだと思います。これが不徳のいたすところ。
いまは「ゆるす」というのは相手のためではなく、本当に自分のためだなあとつくづく思います。
どんなことがあっても、さらっとはいかないまでも心の整理をして、根にもったりせずに常にフラットで穏やかな気持ちでいる。そんな風に生きたいものです。
PS 最近、妻のことを見直しています。私が思っていたよりもずっと立派でした。逆に許されているという意味です(苦笑)。
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こんにちは、吉信秀樹です。
昨日、仲間内での飲み会のお誘いがありましたが、娘の受検が終わるまでは会食禁止とのお達しで今回は断念しました。コロナ早くなんとかなって!
では、またお会いしましょう!
カテゴリー: 人生論