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2020.09.09
重陽の節句に想う
本日、9月9日は重陽の節句です。ちょうようの節句と読みます。現在の日本ではほとんど死語になっています。私も子どもの頃、大人の口からきいた覚えはありません。
私が知ったきっかけは、戦国の昔、豊臣家では重陽の節句の日に家臣が大坂城に登城し、秀吉に節句の挨拶をすることが慣例であったこと。秀吉の死後も、家康は秀頼への挨拶のために登城した故事を通じてです。大坂方の武将たちの心を慰撫するために臣下の例をとり続けたわけです。
さて、重陽の節句とは菊の花をめで、不老長寿を願う行事でありました。ですから、庶民の家庭でも若者や子どもが年長者に長寿のお祝いの言葉をのべるという慣習があったそうです。ちなみに、大人の女性のひな祭りとも言われたそうです。女性が栗ご飯で菊酒を飲んだりする習慣もあったからとのこと。
日本の節句は奇数がカギになります。1月7日七草の節句、3月3日桃の節句、5月5日端午(菖蒲)の節句、7月7日七夕(笹)の節句、9月9日重陽(菊)の節句。この中で重陽の節句だけが全く忘れられているように感じます。残念です。私などは戦後にできた敬老の日などよりも大切にすべき日だと思います。
その敬老の日は、私が天下の悪法だと思うハッピーマンデー法により、毎年9月の第三月曜日とされており、つまり日にちは毎年バラバラ。なぜ、これが天下の悪法かはまた別の項にゆずります。
ただ、不老長寿というのは、私はあまりいいことだとは思いません。色んな意味で人間は適当なところで順番に寿命を迎えるのがよい。昔からマンガ等で不老不死の薬を求めるストーリーがありますが、私には少し幼稚な考え方のように思えます。
毎年、9月9日にはこんなことが頭にのぼります。我ながらちょっとめんどくさい男かもしれませんな(笑)。
PS 私の人生で一人だけ「重陽の節句」の説明を熱心にされていた方がいらしゃいます。娘が通っていた幼稚園の園長先生です。「この方はさすがに・・・」と感じたところから師弟関係が始まりました(微笑)。
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こんにちは、吉信秀樹です。
昨夜は7ヶ月ぶりに、奈良匠の会の社長仲間と飲みました。愉快でした。普段の倍ぐらい飲んでるのに、ようしゃべってるからか、今朝も全くお酒が残っている感じがしません(微笑)。仲間はありがたいものです。
では、またお会いしましょう!
カテゴリー: 人生論