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2020.04.30
学校新年度、9月スタート・・・いいと思うが議論がつまらん
にわかに学校の新年度のスタートを9月にしようという議論が起こってきました。詳細については私が説明する必要はありますまい。四捨五入して言うと、本来そうすべきものを成しがたいところに千載一遇のチャンスが来たといったところ。災い転じて福となす、起死回生の一手。
新学期や入学が桜の季節じゃなくなるのは、正直なところ日本人として淋しいところもありますが、諸般の事情を考慮して賛成に一票を投じます。断腸の思いでの一票です。しかし、テレビでこのことについての議論を見ていると、言っちゃあ悪いがつまらない。
子どもの学年の区切りを9月から8月に変更するのに、いままで同級生だった子どもをどんな風に違う学年にするのか?
せんでいいでしょう。あくまでもこれからの小学1年生に限定し、すでに小学校に通っている以上の子はそのままでいいと思います。いまさら学年変える必要ありますか?また、同じ区切りを変えるのなら、いっそ1月から12月にして同年生まれは同学年にすべきだと申し上げたい。わかりやすいし、同級生感はそのほうが高まって良い。
その一年だけ、児童数・生徒数が少ない年ができてしまうが、それぐらいは必要悪で割り切ってもいいでしょう。これだけの大改革をしようとすると、どこにもひずみが一切無い方法なんてありえない。人事的ではないが過去には丙午ということもある。受験にもマイナスにはなりません。得する人はいても損する人はいない。
そのテレビでは学校の先生が「学校行事も全て予定を変えないといけないので無理だ」なんて言ってた。いわゆる評論家も他の社会システムも急な変更が難しいとのこと。
もう、その先生には「お辞めになったら」と申し上げたい。それぐらい四の五の言わんと変更すればよい。そもそも、コロナのおかげでたいがい変更になってるのと違いますか?この国難の時に何を眠たいことを言ってるのか。これも公務員病ですな。評論家もしょせん評論家。やるべきことは何が何でもやらんといかんという見識も覚悟もない。
9月まで4ヶ月あります。この期間で変更できないほどの大事は何ですか?やりたくないだけでしょう。そりゃあ、東京オリンピックをやっぱり9月開催なんて言ったら無理だろうが、それぞれの学校や自治体で9月入学の準備ができないほどのおおごとがあるとは思えません。
それはその他の社会システムも同様です。その気になったら何とでもなるんと違いますか。くどいけど、すでにコロナで予定通りいってへんでしょう。
のんびり議論しているヒマはない。安倍さんは政治生命をかけて決断し号令すればよい。すぐに始めたら間に合う。各国のリーダーがコロナとの戦いを戦争に例えた。ホンマの戦争やったら、遅くても数時間で結論ださんと全滅するかもしれん。その程度の変更が4ヶ月あっても出来ないなんて言う輩は、たとえ口先だけでも戦争なんて言ったら、大東亜戦争の英霊に笑われますぜ。
あ~、久し振りに好きに書いた(笑)。
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こんにちは、吉信秀樹です。
私は昭和の子です。もし9月入学になると、また一つ昭和の臭いが消えていくような淋しさがあります。昭和はどんどん遠くなります。
では、またお会いしましょう!
カテゴリー: ちょっと寄り道・・・随想風(?)